高山駅前に誕生した一棟貸し町家「町家レジデンスイン高山」の3棟。
3棟の町家には、伝統技法を受け継ぐ高山出身の左官職人 挾土秀平氏の手によって
心を惹きつける“外壁”や“左官アート”が美しく刻まれています。
町家を象徴する大作に挑み、その伝統美を未来へと繋ぐ姿や、作品への想いの深さをご紹介します。
作品に寄せてContribution
大気圏と宇宙の結界があるように
強烈に線引きされた別世界の次元の違いを
ものづくりに感じる事がある。
その線引きは、己の身の丈の視線にあって、
それを見下ろしているのか、
見上げているかの違いにある。
どんなに想定し、確認を繰り返していても
実際の現場に立つと、
見えなかったものが見えて
予測のつかない不慮の事故、
想定外が付きまとう。
この夏、高山で高さ9メートルの
2枚1対の壁に挑戦していた。
高さ2メートルの試作ではとても上手く出来ていた。
しかし、いよいよ現場で
高さ9メートルの壁面を施工し始めると、
まるで試作のようにはいかず途方に暮れた。
2メートルの試作は大気圏、
9メートルの現場は無限の宇宙だったのだ。
水と土と光と、身の丈を超えた視線。
まさに人を超えた自然の中で
のたうち回って、この壁は生まれた。
挾土秀平 プロフィールProfile
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2001年「職人社秀平組」を設立。以来、土・砂・石灰・藁など、自然素材の表情や色を活かし、ストーリーのある壁を制作。ザ・ペニンシュラホテル東京、アマン東京、羽田空港国際線JALファーストクラスラウンジ、馬事公苑、岐阜県庁1Fホワイエなどのほか、NHK大河ドラマ「真田丸」の題字・タイトルバックも手がける。フレームに土を用いたアート作品も制作する。
著書に『のたうつ者』(毎日新聞社)、物語詩3部作『青と琥珀』『歓待の西洋室』『光のむこう』(木耳社)、『左官 挾土秀平の生きる力』(六耀社)、『ひりつく色』(清水弘文堂書房)。
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大壁に対峙する左官職人の傍でDirector's Note
現場の緊張感からか、ビリビリひりつく空気のなか、挾土秀平さんが9mの大壁に向かって鏝を振るう。静寂に足場が軋む音。目をぎらぎらさせて大壁に対峙している。一発勝負。背中に纏う空気がたちのぼっているように錯覚する。
秀平さんが舞うように描くと、鏝がにぶく光り、しゃきんと土が切れる鋭い音が響く。時折ふぅーっと深く長く息を吐く。何かが憑依してるように小声で呟いている。いいぞ、生きてる。線が生きてる。と聞こえた。
それまで聞こえていた喧騒や土埃の匂いも消えて、その姿に引き込まれる。まさに息を呑む。呼吸を忘れるほど僕も緊張していて、鳥肌が立っていることに気づく。巨大な壁に生命が宿っていくのを全身で感じている。豊穣を祈る儀式のような、自然と人のあいだの尊い行為に思える。
じつは一度目は失敗していた。職人達が数日かけて慎重に準備していた姿を見ていたからこそ、やり直しによる秀平さんと職人たちの心の軋む音が聞こえるようだった。職人たちは土の表面を剥いで、もう一度塗り直した。土と水の配合なのか、塗り方なのか、僕には計り知れないが、一度目とは明らかに違っていた。秀平さんが躍動して、そして線が生きている。風のような線が少しずつ紡がれていく。そして沈黙していた壁が静かに語りはじめる。
秀平さんは、作品名は見る者に委ねるとおっしゃった。無名性。すぐにわからないもの、”対空時間”の長いものを作りたいと。壁に描かれた書のような鏝の軌跡は、枝垂れた植物のようでもあり、力強い根のようでもあり、体温をもたらす血管のようでもあり、怒れる大地の亀裂のようでもある。
最後の線を描き終えたとき、秀平さんは傍の職人に寄り掛かり、お前のおかげやぞ、ありがとなぁと僕らの知る親方に戻って野太い声を響かせた。そして、大壁を見上げながら、よかった。救われた。と、ほんの一瞬天を仰いだあと、頭を下げて深く目を瞑った。
歓喜と安堵のまじりあった高揚感。自然と秀平組の職人達が集まり、達成感に満ちた笑顔で大壁を見上げている。これこそが左官の醍醐味。本物の左官職人集団の底力を見た。その場に居られることに感謝した。胸がいっぱいで言葉は出てこなかったが、秀平さんに力強く握手していただいた。僕の肌はまだ粟立ち続けていた。
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町家の建築デザインが目指す未来Architectural Design
高山観光の中心地である伝統的建造物群保存地区へつづく高山駅前通りは、高山の伝統を踏まえ現代的にデザインされた駅と、伝統を守る建物群をつなぐ役割を果たしています。この駅前通りで、現在と過去を結びつけ、高山の未来を描ける一棟貸し町家を目指しました。
隣り合わせで並び建つ2棟「町家レジデンスイン高山 花里町 あおの花」「町家レジデンスイン高山 花里町 ゆきの花」は、左右対称となるプランを配し、2棟で一体となるようデザインしました。それぞれの町家の中心部には、大きな天窓から自然光が差し込む「光庭」があり、伝統的な高山の民家と同様に、木造の柱梁が露出しています。さらに、その柱梁を突き抜けるように光庭の壁一面に、高山が輩出した日本を代表する左官職人・挾土秀平氏による、9mの左官アートを施しました。
もう1棟の「町家レジデンスイン高山 天満町 いち花」は、100年以上にわたり駅前通りの景観を成してきた町家です。駅前通り沿いに建つ3棟が、これから先の高山の新たな景観になることを目指し、3棟すべての外壁も挾土秀平氏が手がけ、伝統と高度な技術が凝縮されている“虫籠窓”をモチーフとした左官壁で仕上げました。高山駅から訪れる人々を明るく迎え入れたいという想いを込めています。
伝統を守ることは、古いものをそのまま残すことではありません。時の移ろいを愛でながら、未来をつくる新しい要素を付加することで、文化は持続されます。高山の伝統や自然を背負いながら未来を見据える挾土秀平氏との協働により、古くて新しい建築が誕生しました。

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